嵐さずえ

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Neque porro quisquam est qui dolorem ipsum quia dolor sit amet, consectetur, adipisci velit 同様に、悲しみそのものを、それが悲しみであるという理由で愛する者や、それゆえ得ようとする者は、どこにもいない。

文学を勉強して何の役に立つの?

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HID
二分法を疑うこと

「文学を勉強して何の役に立つの?」「文学は〈実〉の世界で役に立たない虚学じゃないか?」という質問をしばしば耳にします。役に立たない虚学だからこそ面白いんだ、とやけ気味に答える人もいます。でも、役に立つか役に立たないか、虚学か実学か、物事を単純な二分法で発想してしまうことが、思考をせばめ、大切な問題を隠してしまうのです。文学はこうした二分法、二項対立的な考えを支えている前提こそ疑い、突き崩します。
そこから新たな着想が生まれ、私たちの日常的な〈生〉の感覚をタフに更新していくのです。

オリジナルな問いへ
この世の中には、性急な答えになじまない問題がたくさんあります。問い/答えがいつもセット化されて、二進法の機械のように進むものがすべてではありません。そうしたメカニックな思考法に「何か変だぞ」と感じる日常的な違和感にこそ、文学は創造的な発端を見いだすものです。そこから創意に満ちた問いが立ち上がります。真にオリジナルで魅力的な問いには、すでに答えが内包されているものです。だから、何より問いのセンスが大切なのです。文学は人間が常に何かを考えたり、感じたりしながら日々を生きる〈現場〉に、生新な問いを発していくものです。

危機に寄り添って
私たちはときに名づけようのない強い感情の湧き起こる現実にぶつかります。言葉の無力も感じたりもします。しかし、いつでも文学は人間のあらゆる危機に寄り添ってきました。二十世紀を代表するアイルランドの文学者サミュエル・ベケットは、「世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにも当てはまるよ」と、ある登場人物に言わせています。
涙も笑いも、実は私たちすべての者が分かち持っているのです。

人間が何かを考え、感ずる限り、文学はその存在と不即不離の関係にあると言えるでしょう。

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